Sndh's blog

ん?!ときた、日々の出来事をお知らせします。

コロナがどうしたもんじゃい!木下大サーカスの【絆】を見んさいや!

コロナの影響で5か月間営業を停止していた木下大サーカス!?

 


そのあいだ一人のリストラも出さず、再開時はほぼ満員の
集客で観客を魅了しているそうです。

世界的サーカス集団である、シルク・ドゥ・ソレイユすら
解散してしまうような状況。


その様な中、退職者ゼロの奇跡を起こしたのは、創業から
120年かけて培ってきた従業員間や地域との「絆」ではない
でしょうか。

 

 


地域との絆

 

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木下大サーカスは、1877年岡山の芝居小屋から
始まりました。


そして、1902年に軽業一座を結成し、中国の大連で
旗揚げをしたのが木下大サーカスの創業とされています。

 

帰国後は、今の木下家に伝わる商売の鉄則の一つ、
『大衆に受け入れられ、喜んでもらえる場所を作ること』
に力を入れました。


木下大サーカスは、テント内は冷暖房完備されトイレも
水洗で、きちんと掃除も行き届いているそうです。

 

テントを建てる場所にもこだわりがあり、利便性はもちろん、
その土地の風景として、今でいう「映える」ロケーションが
必要だそうです。


情緒すら漂うような風景は、家族全員で楽しんだ思い出の
記憶として、一生忘れられないものとなっています。

 

 

サーカスの内容だけでなく、こうした細かな取り組みを
120年近く変わらず継承してきたことが、地域との絆を
強くしていったのではないでしょうか。


このコロナ禍のなか、様々な新聞社からの寄附や、クラウド
ファンディングで全国からの協力を受けられたのも、その
証だと思います。

 

 


団員との絆

 

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公演ができない間も、木下大サーカスでは社員への給料は
毎月支払われていたのです。


シルク・ドゥ・ソレイユが団員を大量解雇するなか社長の
木下さんは、「団員は家族」という思いをもって、常に
明るく前向きに従業員に接していました。

 


それでも団員の中には、先行きが見えないことへの不安を
持つ人もいたそうです。


木下社長は、そのような人たちも前向きな情熱を持ち
続けられるように、週に一度本番さながらのリハーサル
を行いました。

公演の再開に向け、いつでも変わらぬショーを見せられるよう、
心と体の準備をさせていたそうです。


そんな状況の中、団員たちの意識も少しずつ変わってきて
いました。

 


ショーという形でなくても何かの形で地域貢献をしたい。


そんな中取り組んだのが、マスクの制作だったそうです。

当時不足していたマスクを手作りで制作し、地域の福祉
施設に配布しました。


公演で販売予定だったお菓子や飲料水なども、地域の
子ども食堂社会福祉評議会などにも配布しました。

また、こうした地域貢献活動以外にも、サーカス運営の
手助けになる技術取得活動も行っていたそうです。

 

重機周りの免許取得は移動やメンテナンスに役立ち、
溶接の資格は、ショーに使うオートバイのホイール修理
等に役立ちました。

 

給与ではなく、ステージごとにギャラが発生する外国人
アーティストには、少しでも足しになればと、そういった
作業を発注していました。


こうして、今まで外部に委託していた色々な作業が、
サーカス内で出来るようになっていきました。

 


全員で力を合わせ様々な作業をしていったことで、サーカス
内に一体感が生まれ、より絆が強まっていったそうです。

 

 

 

まとめ

 


木下大サーカスは、旗揚げ以来約120年近く一度も休演
していません。


戦時中男性団員がいない時も、女性団員だけで公演を
行ってきたそうです。

 

そういった、人を喜ばせたい、一生の思い出になる時間を
作りたいという思いを続けてきたことが、たくさんの
人たちとの絆を強くしていったのではないでしょうか。

 

 

今は、実際にその場に行かなくても
色々なことを体験できる時代です。

 


それでも、
ショーが始まると満員になるほど人々が来ていただけるのも

 

世代を超えた【絆】を感じているからではないかと思います。